親ガチャとか毒親とか
自分が子育てを終えてみて
改めて自分の育った環境を振り返ると
ま、親ガチャはハズレで毒親だったよね と思う
両親は中卒で、卒業と同時に集団就職
適齢期にお見合いで結婚
学歴とは無縁の2人
知らないくせに「大学なんて行っても無駄」
が口癖でした
だから当然わたしに進学の選択肢はなかったのですが
当時高校生のわたしは、勉強が得意ではなかったから
就職オッケー(^^)v って言っていたけど
本当は専門学校に行きたかったのね
夢もあったけど
言い出すことすら出来なかった
これは幼い時からずっと
本当の気持ちを言えなかったったから
第一子 長女あるあるではないかと思う
お姉ちゃんと言われて育ち
いつの間にか我慢するのがあたりまえの日々
無言のお姉ちゃん圧力
高校生になったばかりの頃
お小遣いがもらえなくてアルバイトしたいと言ったら
反対され、仕方ないから
内緒で働いて自分の欲しいものを買ったり
友達との付き合いをしていたけど
ある時わたしのいない間に母が机を物色
(これ、ありえないけど我が家では普通でした)
プライバシーのへったくれもない家です
昔からで本当に家出も自殺も考えたくらい^^;
隠しておいた通帳が見つかってバイトしていたのがバレました
なぜ、バイトがしたかったのかも聞かれることなく
ひたすら怒られ、殴られ、バイトは強制退職(めちゃ怖かった)
そして何故か通帳は取り上げられた(お金返してー)
その後何度も何度も懇願して、バイトの許可がおり
別の場所で働き高校生活で必要なお金は自己調達できました
妹は、わたしのすったもんだを見ているから
上手に親と接しておりすんなりバイトしてたっけ^^;
幼い頃から色々と我慢してきたから
親に甘えることが出来なかったわたしです
本当は欲しいのに、本当は行きたいのに、本当は‥‥‥
自営業の父と専業主婦の母
家計に余裕などなかったのか
夕飯のおかずは基本一品で遠慮しながら食べる
そんな生活でした
おかげさまで わたしは少食です^^;
友達のおうちはボーナスってのがあるらしい
夏休みには祖父母の家以外の場所に旅行するんだって
そんな生活レベルの差に気がついてからは
一層自分の気持ちを表に出すことは無くなった
うちはお金がない家なんだと知ったから
なのにバイトだめって意味不明ですがね
親が白といえば黒も白になる 絶対的な抑圧の中で育ちました
外泊も、遠くに遊びに行くのもダメ、ダメ、ダメ
夜、親が寝てから団地のベランダから家を出て、
早朝にベランダから帰宅したなんて武勇伝をもっているわたしです
一階とはいえ、近所の誰かは目撃していたかもしれません
それでも友達と夜中のファミレスでおしゃべりしたのはいい思い出
それにしても
今思えばよく不良にならなかったもんだと思います
だから就職は、自由になるための手段だったのです
早く実家を出よう そう思っていましたが
就職しても高卒事務職の薄給では一人暮らしもできず
そうなると結婚しかない
安易ですが^^;ほんとにそう思っていました
で、早めに結婚しちゃいました
高校卒業まで育ててもらったので感謝はしていますが
両親はわたしにとって反面教師です
わたしは両親の様にはなりたくないと思って生きてきました
(こんなこと口が裂けても親には言えませんが^^;)
今の世の中ならインターネットで調べて
奨学金を借りて学校に行ったり
寮のある会社に入って家を出たり
選択することができるのでしょうけれど
親の価値観が絶対
そんな家庭で育ったわたしには選択することすら
許されなかった
まあ数十年前のお話です
そこからコツコツ地味に努力して
今は専門職として働けているわたしの過去のおはし
うちの子どもたちにはいずれ
親ガチャ外れか当たりか聞いてみようと思います
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。