誕生日が命日になった息子のこと



娘たちが社会人になり


自分の時間が増えました


忘れたことはないけれど
話す相手もいないので


こちらで備忘録


息子の事


23年前、産声を上げる事なく
天使になった息子


死産でした


育児はワンオペ
そんな中での妊娠


子供は2人かな
ずっとそう思っていたので


妊娠が分かった時
「どうしよう」と思ったぐらい


だって妊娠検査したのは
夫の実家で義父の急逝後


葬儀が終わって初七日
(そんな時に検査するのもね^^;)


なので
絶対男の子だ


と思いました
義父は内孫の男児を強く強く望んでいて
(ご期待には添えず)


このタイミングで授かったのだから
きっと男の子だな
って感じ


姉弟3人ってどんな感じなんだろうな
そう思いながらの妊婦生活でした


わたしには兄も弟もいないので
男の子のいる生活が楽しみでもあり


不安でもありました


定期検診では性別は聞かずに過ごし
32周を過ぎた健診で


なんか先生の様子がおかしい
看護師を呼んでバタバタしてる


心音が聞こえない
って言ってるのが聞こえた


おうちで胎動ありました?
とか聞かれたけど


もう頭の中は真っ白で
何言われてるんだっけ


その後
原因はわからないけど
赤ちゃんの心音が停止しているから


すぐに出してあげないといけない


他にも言われたけど記憶になく


その後どうやって家に帰ったのか
覚えていない


玄関に入るなり
泣きながら夫に伝えたのだけ
覚えています


その日は地元の夏祭りで
子供たちは浴衣を着るのを
楽しみにしており


入院は翌日に決まっていたので


その夜は夫が子供たちを
お祭りに行くことに


翌日
子供たちを実家の両親に預け入院


陣痛促進剤で陣痛を起こし
普通分娩で息子を出産しました


小さな小さな男の子は
産声を上げることはなく
(やっぱり男の子だったと遠のく意識の中で思う)


泣いているのはわたし


先生には
先天性の病気があったのか
原因が知りたければ解剖も可能


と言われたけど
希望しませんと伝え


専門の葬儀社が来てくれて
後日お骨で家に帰ってきました


数日間入院していたと思うのですが


ただ一つ強烈に覚えているのは


翌日の午前中に
産後健診を待っていたら


日勤の看護師さんに
おめでとうございます


と言われたこと
(のちに謝罪がありました)


周りには無事に出産を終えた
幸せなママたちもいて


その人たちと一緒にいなければならない


その産院の配慮のなさに
悲しいやら情けないやら


複雑な思いがありました


出生届と同時の死亡届は
名づけの必要はないらしいのですが


わたしたち夫婦は長男に命名し
そして届けを出しました


毎年8月は
いまだに辛い思いがありますが
息子を宿した経験はわたしの宝物です


そこから数年後に授かった娘は
妊娠中のトラブルも一切なく


安産で
病気することなく


スクスクと育ち


ワガママな末っ子となりました
(もう社会人ですが^^;)


今わたしは幸せです


ですが
妊娠、出産はあたりまえではなく
奇跡であることは
胸に刻んでいます